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阿部技術士・労働安全コンサルタント事務所は、ものづくりの現場における労働安全の構築と品質の作り込みをサポートします。

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よろず見聞録49Experience & knowledge

49-3)仙台城跡(青葉城)・瑞鳳殿

 2023年7月27日、ホテルモントレ仙台のチェックアウト(11時)迄の時間を利用して、仙台城跡と瑞鳳殿に行ってきました。移動はタクシー、乗車して分かったのですが、600円追加で観光している間の待機が可能だったので、時間のロスを最小にすることができました。
 写真1の上段は仙台城跡とその周辺の航空写真です。右上の写真は仙台城跡から東の方向の眺望です。ビル群は仙台市内、手前には広瀬川が流れ、遠く太平洋まで望めます。
 仙台城は伊達62万石の居城で、標高約130m、平野の中にある丘陵の頂に築かれた平山城です。写真1の航空写真から明らかなように東(広瀬川)と南(写真1下段左、竜の口渓谷)が断崖になっており、このような天然の要害に築かれた城に天守閣は必要なかったようです。2001年から2009年にかけて行われた発掘調査によって大広間の礎石跡(写真1下段中央)や御成門跡などが発見されました。大広間は本丸御殿の北部にあった主要な建物で、藩主と家臣が対面する場で、畳敷き部分で260畳、板敷の拭い縁部を含めると凡そ430畳に及ぶと伝えられています。
 写真1下段右は藩祖伊達政宗公騎馬像です。1935年5月、政宗公没後300年祭を記念し、本丸跡に建立されました。伊達政宗は1567年米沢城で生まれ、江戸時代になると、仙台藩62万石の藩祖として、産業・経済・文化の振興をはかりました。

写真1.上段:仙台城跡とその周辺の航空写真 下段左:竜の口渓谷 中央:大広間礎石跡 :伊達政宗公騎馬像
(何れも2023年7月27日撮影) 

写真2.上段:瑞鳳殿 下段:瑞宝殿配置図 (何れも2023年7月27日撮影)

 瑞鳳殿は1636年、70歳で生涯を閉じた伊達政宗の遺命により、1637年、二代藩主忠宗によって経ヶ峰に造営された墓所です。1931年、国宝に指定されたが、1945年の戦災で焼失しました。現在の建物は1979年に再建され、2001年の改修では、柱に彫刻の獅子頭、屋根には竜頭瓦を復元し、極彩色も再現することで創建当時の姿が甦ったと入館パンフレットには記載されていました。
 また、隣接する資料館には空襲で焼失した三藩主の霊屋が再建する際に行われた発掘調査では完全な遺骨と共に多くの貴重な副葬品が発見されたようです。三藩主の頭骨を基に復元した容貌像も展示されていました。

 当事務所では人間行動に起因する事故・品質トラブルの未然防止をお手伝いします。また、ものづくりの現場の皆様の声を真摯に受け止め、ものづくりの現場における労働安全の構築と品質の作り込みをサポートします。(2023.7.27)

49-2)山寺芭蕉記念館(ホテルモントレ仙台泊)

 写真1の下段左はJR山寺駅です。山寺(立石寺)の玄関口に相応しい寺社造りの駅舎を有するとして、2002年、東北の駅百選に選定されました。写真1の下段右は山寺芭蕉記念館です。山寺参拝のあと、昼食を済ませ訪れました。
 山寺芭蕉記念館は、市制施行100周年を迎えた山形市が1989年4月に記念事業の一環として建設したもので、松尾芭蕉が奥の細道の吟行で山寺を訪れてから300年の節目に当たります。常設展示では、松尾芭蕉の生涯と業績を芭蕉の周辺と蕉門、描かれた山寺等、収蔵品を中心に様々なテーマで紹介されています。訪れた2023年7月26日は 「妖怪探訪-もののけ」が企画展示されていました。


写真1.上段 街歩きマップ
(入館時受領)下段左 山寺駅 下段右 山寺芭蕉記念館(2023年7月26日撮影)

写真2.山寺芭蕉記念館(入館時受領)
 
 当事務所では人間行動に起因する事故・品質トラブルの未然防止をお手伝いします。また、ものづくりの現場の皆様の声を真摯に受け止め、ものづくりの現場における労働安全の構築と品質の作り込みをサポートします。(2023.7.26)

49-1)立石寺(山寺)

 2023年7月24日、仙台駅を8時18分発の仙山線に乗車、山寺駅には9時26分に着きました。
<仙山線>
 仙山線は仙台と山形とを結んでいます。起点の仙台駅で東北新幹線及び東北本線に、終点の羽前千歳駅では奥羽本線に接続しています。仙山線は運転系統としては奥羽本線羽前千歳駅から 山形駅間を含む全長62.8qの区間です。
 1926年に着工、段階的に工事を進めながら運用、1937年に全線開通しました。当初は蒸気機関車で運行しており、山寺駅には当時使用していた蒸気機関車の転車台が残されていました。
 しかし、奥羽山脈を横断する作並、山寺駅間には全長5361メートルの仙山トンネルが建設され、この長いトンネルにおける蒸気機関車の煤煙被害を避けるため、この区間は開業当初から、直流電化されていました。その後、国鉄(当時)は、送電ロスが少なく地上設備のコストが低い、大容量送電が可能などの利点がある交流電化を目指し、仙山線で各種の試験を行い、1968年、仙山線全線で日本初の交流電化を実現しました。
<立石寺(山寺)>
 写真1は立石寺周辺の地図及び地形図と山寺駅展望台から立石寺を望む風景です。山寺駅で待ち合わせていたガイドの会(きざはし会)の武田さんの案内で立石寺を参拝してきました。
 写真2は立石寺の案内マップです。立石寺と紅花は日本遺産になっています。
 1908年9月18日、後の大正天皇(東宮嘉仁皇太子)が、立石寺を行啓されました。立石寺は松尾芭蕉の俳句「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」で有名ですが、立石寺が全国的に有名になったのはこの皇太子の行啓のおり、立石寺が耶馬渓に匹敵する景勝地として紹介されたことによります。辺鄙な田舎村の山寺は全国に知られるところとなり、行啓の翌日から県内外から多くの参拝者で賑わい、山寺の知名度は一気に高まりました。写真8は皇太子が山寺滞在中に休憩に使用するために約1か月で建てられた休息所で、現在は東宮行啓記念殿として山形市の指定文化財となっています。
 立石寺は860年に清和天皇の勅願のよって慈覚大師円仁が開いた天台宗の寺です。円仁は山寺を開くにあたり、この地方を支配していた狩人磐司磐三郎と対面し、仏道を広める土地を求め、砂金千両・麻布三千反をもって周囲十里四方を買い上げて寺領とし、堂塔三百余をもってこの地の布教に勤めました。また、磐司磐三郎は開山に全力を尽くして協力したため、のちに地主権現として祀られ たと伝えられています。現在は約33万坪の境内を持ち、その中に大小30余りの堂塔が残され、三つの不滅(法灯・香・写経行)が護られています。
 写真3の下段は、国指定重要文化財の根本中堂です。1356年、斯波兼頼が再建した入母屋造・5間4面の建物で、ブナ材の建築物では日本最古といわれています。この地にはブナの木が多く茂っています。しかし、ブナ材は建築には適さないとされており、立石寺の根本中道も1615年と1963年に大修理を行うなど、創建から約600年の間に約40%の木材を取り換えているようです。607年頃、ヒノキで建てられた法隆寺の主要部分と比べてもブナの建築物は短命なようです。堂内には、慈覚大師作と伝える木造薬師如来坐像が安置され、50年に一度御開帳(次回2063年)されます。また、伝教大師が比叡山に灯した法灯を立石寺に分けた不滅の法灯を拝することができました。
 写真4の上段は日枝神社のイチョウの木で、樹齢は約1000年、日枝神社は師円仁が立石寺を開山する際に、比叡山延暦寺に倣って立石寺一山の守護神として近江国坂本の日吉大社より御分霊を勧請し祀ったのが始まりで、1870年、神仏分離令により、立石寺とは切り離され別当の役割は終わりました。
 写真3の上段左は山門に続く石段です。立石寺のホームページには石段の数は1015段とあります。
 写真3の上段右は松尾芭蕉の句碑です。1926年、歌人の斎藤茂吉はこの句に出てくる蝉についてアブラゼミであると断定し、雑誌『改造』の同年9月号に発表したことをきっかけに蝉の種類についての文学論争が起こったようです。 アブラゼミと主張する斎藤に対し、「元禄2年5月末は太陽暦に直すと7月上旬となり、アブラゼミはまだ鳴いていないこと」を理由にこの蝉はニイニイゼミであるとの主張が対立しましたが、その後、斎藤は実地調査などの結果をもとに1932年6月、誤りを認め、芭蕉が詠んだ詩の蝉はニイニイゼミであったと結論付けました。因みに、筆者らにはニイニイゼミの声が聞こえていました。
 写真4の下段左は根本中堂の西、仁王門の下に位置する弥陀洞です。弥陀洞は凝灰岩が削られ、阿弥陀如来の姿を造りだしたといわれるもので、1丈6尺(4.8m)の姿から「丈六の阿弥陀」とも呼ばれ、その姿を見ることができた人には、幸福が訪れるとのことでした。
 写真4の下段右の仁王門は奥の院までのほぼ中間点にあるケヤキ造りの門で、門の左右に安置された仁王像は仏師・運慶の弟子たちの作と伝えられています。
 写真5の正面右側のお堂が奥の院ともいわれる如法堂で、開山・慈覚大師が、中国で修行中に持ち歩いた釈迦如来と多宝如来を御本尊としています。正面左側の大仏殿には金色の阿弥陀如来像が安置されています。また、奥の院境内にある金燈籠は金刀比羅宮(香川県琴平町)、金華山黄金山神社(宮城県石巻市)と共に日本三大灯籠に数えられています。
 写真6、向かって右側が立石寺の開祖、慈覚大師円仁を祀る廟所、開山堂です。現存する建物は1851年に再建されたもので、堂内には大師の木造の座像が安置されています。向かって左側の赤い小さな堂は写経を納める納経堂で最も古い建物です。
 写真7は五大堂と五大堂からの眺望です。五大堂は、開山30年後に建立された五大明王(中央・大聖不動明王、東・降三世(ごうざんぜ)明王、南・軍荼利(ぐんだり)明王、西・大威徳(だいいとく)明王、北・烏枢沙摩(うすさま)明王)を祀る道場で、断崖に突き出すように立つお堂から山寺とその周辺を一望できます。現存する五大堂は、1714年に再建された舞台造りの建物で、舞台の上からの眺めは、立石寺随一です。 
写真1.上段:立石寺周辺の地図 下段左:地形図 下段右:山寺駅から望む立石寺の風景(2023年7月26日撮影)
写真2.日本遺産山寺と紅花 山寺立石寺案内マップ(2023年7月26日撮影)
写真3.上段左:立石寺石碑と石段 上段右:松を芭蕉の句碑 下段:根本中堂 (2023年7月26日撮影)

写真4.
上段:日枝神社のイチョウ(推定樹齢約千年)

下段左:弥陀洞

下段右:仁王門

(2023年7月26日撮影)


写真5.大仏殿&奥の院(2023年7月26日撮影)
写真6.開山堂&納経堂(2023年7月26日撮影)
写真7.上段:五大堂 下段:五大堂からの眺望(2023年7月26日撮影)
写真8.東宮行啓記念殿(2023年7月26日撮影)
 当事務所では人間行動に起因する事故・品質トラブルの未然防止をお手伝いします。また、ものづくりの現場の皆様の声を真摯に受け止め、ものづくりの現場における労働安全の構築と品質の作り込みをサポートします。(2023.7.26)

49)立石寺・山寺芭蕉記念館/仙台城跡・瑞鳳殿(ホテルモントレ仙台泊)

 2023年7月25〜27日、仙台、山形市を訪れました。25日は大阪空港発10時00分発の仙台空港行に乗るため松茂発5時50分の徳島バスに乗車、三宮経由、大阪空港には8時10分頃到着しました。渋滞が無かったためかなり早めの到着となりました。今回の旅のルートは以下のとおりです。今回も長崎同様、フライトとホテルが選べるダイナミックパッケージを利用しました。
・自宅⇒松茂⇒神戸三宮⇒伊丹・大阪空港⇒仙台空港⇒
・JR空港線長町駅⇒友人宅訪問⇒昼食⇒
・長町駅⇒仙台駅⇒ホテルモントレ仙台泊
・仙台駅(仙山線)⇒山寺駅⇒立石寺(山寺)⇒昼食⇒山形芭蕉記念館⇒ホテルモントレ仙台泊
・仙台城跡⇒瑞鳳殿⇒ホテルモントレ仙台
・仙台駅(空港線)⇒仙台空港⇒昼食⇒
・仙台空港⇒伊丹・大阪空港⇒神戸三宮⇒松茂⇒自宅
図1.旅のルート
(出典:旅に出かけたくなる地図)


 当事務所では人間行動に起因する事故・品質トラブルの未然防止をお手伝いします。また、ものづくりの現場の皆様の声を真摯に受け止め、ものづくりの現場における労働安全の構築と品質の作り込みをサポートします。(2023.7.25)
                                       

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