本文へスキップ

阿部技術士・労働安全コンサルタント事務所は、ものづくりの現場における労働安全の構築と品質の作り込みをサポートします。

TEL. 088-694-3482

〒771-1330 徳島県板野郡上板町西分字橋北16番地2

よろず見聞録37Experience & knowledge

37-3)鳥取砂丘・砂の美術館

 2019年7月10日、鳥取砂丘を訪れ、砂の美術館に展示中の作品を鑑賞することもできました。
 
写真1は、鳥取砂丘案内板と周辺風景を合成したものです。
 鳥取砂丘ビジターセンターには自然の造形としての砂丘の美しさやそこに生きるものの生命力を伝えるゾーンや、
映像ミニシアターで砂丘の魅力を臨場感豊かに伝えていくコーナーなどがあります。
 また、鳥取砂丘ビジターセンターのホームページには多くの情報が掲載されていますので、予備知識を蓄えるには最
適です。
 鳥取砂丘については次のように紹介されています。(太字強調は筆者)
    
山陰海岸国立公園は昭和30年に国定公園として指定された後、昭和38年国立公園に昇格しました。
    鳥取砂丘については良好な砂丘景観のみられる131haが特別保護地区として指定され、あらゆる行為が最も厳
    しく規制されています。 また昭和30年、鳥取砂丘が海岸砂丘として世界的に見ても大きな起伏を持つこと、
    風紋・砂簾・砂柱、ハマゴウなど砂丘独特の地形、 植物群落を有することなど学術的に貴重であることが評
    価され国の天然記念物に指定されています。
    また、砂丘の成り立ちについては
    @中国山地の花こう岩などが風化して砂になる
    A雨が降り、砂が土砂となって千代川へ流れ出る
    B川に流され、日本海へ出て波で海岸へ押し戻される
    C日本海から吹く強い風で砂が内陸へ飛ぶ
    これが現在までの長い年月をかけて繰り返され、鳥取砂丘ができています。

 
写真2鳥取砂丘で、馬の背、オアシス、風紋、長者ヶ庭などと呼ばれているエリアです。背景には日本海が拡が
っています。
 鳥取砂丘の最大高低差は90mにもなり、大きく窪んだ「すりばち」と呼ばれる地形の高さは40mにもなります。
すりばちの斜面には、毎秒5 〜 6mの風によって形作られる風紋と呼ばれる筋状の模様が見られます。また、地表は常
に乾燥している訳ではなく、すりばちの最深部には地下水が湧出している「オアシス」と呼ばれる場所もあります。
 
写真3は、砂の美術館入口付近に展示されていた「独立の父Mahatma Gandh」の砂像です。砂の美術館は世界
初の「砂」を素材にした彫刻作品の美術館で、2006年11月に開館しました。今回は第12期で、2019年4月13日から
2020年1月5日までの展示です。「砂で世界旅行南アジア編〜信仰が息づく多様な文化と平和への道を訪ねて〜」をテ
ーマとして、「独立の父
Mahatma Gandh」のほかにも、仏陀の出現と悟り仏陀の入滅バーミヤンの大仏
など多くの作品を鑑賞できます。
写真1.
鳥取砂丘
(現地案内板及び
 周辺風景の合成)
(2019年7月10日撮影)

写真2.
上段
鳥取砂丘
馬の背、オアシス、
風紋、長者ヶ庭、
背景は日本海
下段赤枠
砂丘案内板
(2019年7月10日撮影)
写真3.
上段
砂の美術館
Mahatma Gandhi
下段
砂像制作の工程
(2019年7月10日撮影)


 当事務所では人間行動に起因する事故・品質トラブルの未然防止をお手伝いします。また、ものづくりの現場の皆様の声を真摯に受け止め、ものづくりの現場における労働安全の構築と品質の作り込みをサポートします。(2019.7.10)
                                           

37-2)余部鉄橋・山陰海岸国立公園

 2019年7月10日余部鉄橋を訪れました。写真1は空の駅周辺の案内板と周辺風景です。
 余部鉄橋はJR山陰本線の鎧駅と餘部駅との間にある全長309.4m、橋脚の高さ41.5mのトレッスル式鉄橋です。鉄橋は兵庫県香美町の余部集落をまたいで東西の山に架け渡され、東側に東下谷トンネル、西側に餘部駅があります。
 鉄橋は、1909年12月着工し、1912年1月に完成、1912年3月1日香住〜久谷(新温泉町)間の営業が開始されました。日本海から吹きつける潮風で鋼製の鉄橋は腐食しやすい環境にあり、保守管理は困難を極めたようです。
 余部鉄橋には悲しい過去があります。1986年12月28日午後1時25分頃、福知山発浜坂行下り回送列車が余部鉄橋を走行中、最大風速約33m/sの突風にあおられて客車7両が約41m下に転落し、水産加工場と民家を直撃したのです。この事故により、水産加工場で働く女性従業員5名と車掌1名の尊い生命が奪わ れ、6名が重傷を負いました。この悲惨な事故をきっかけに、風速による運行規制は25m/sから20m/sとなりました。事故現場には、犠牲者の慰霊と再発防止への願いを込め、聖観世音菩薩が安置されています。
 余部鉄橋は事故の後、列車運行規制風速が20m/sに定められたこともあり、強風時には列車の遅延、運休がたびたび発生していました。1991年に設立された「余部鉄橋対策協議会」では列車運行の安全性向上と定時性の確保を図るべく種々の調査検討を行った結果、防風壁を備えたコンクリート製の新橋梁への架け替えを計画、立案しました。
 現在の余部橋梁は、2007年3月29日着工、2010年8月11日に切替え工事が完成し、同年8月12日に開通しました。架設位置が旧橋梁よりも約7m南側になったため、餘部駅のホームの位置が北側に変更されたようです。
 橋梁の構造は、プレストレスト・コンクリート製のエクストラドーズド形式(あらかじめ応力を加えたコンクリート材 を使用し、通常、外ケーブルの構造では、外ケーブルは主桁内部に配置されるのに対し、主塔を設けて主桁上面にも外ケーブルを配置して斜材とし、これにより主桁を支える構造)を用いています。また、防風壁(高さ1.7mの透明アクリル製)を設置し、風速30m/sまでの運行を可能としています。
 現地保存されている旧鉄橋の3本の橋脚は、展望施設「空の駅」として活用されています。
写真1.
余部鉄橋
空の駅周辺案内板及び
周辺風景を合成
(2019年7月10日撮影)




 
 
当事務所では人間行動に起因する事故・品質トラブルの未然防止をお手伝いします。また、ものづくりの現場の皆様の声を真摯に受け止め、ものづくりの現場における労働安全の構築と品質の作り込みをサポートします。(2019.7.10)
                                           

37-1)世界記憶遺産 舞鶴引揚記念館/天橋立(城崎温泉 心温まる宿ひだまり泊)

 2019年7月9日に訪れた舞鶴引揚記念館は京都府の北部、舞鶴市の引揚記念公園内にあり、舞鶴若狭自動車道の舞鶴東ICからは車で約15分の距離にありました。
 写真1は館内に展示されていた引揚桟橋の模型の写真に展望台からの写真並びに当日入手したパンフレットと入館チケットを合成したものです。
 当時、マスコミは、引揚船で帰ってくる息子の帰りを待つ母親の姿を、「岸壁の母」として採り上げました。そのような母親の一人である「端野いせ」さんをモデルとして、「岸壁の母」は流行歌や映画、テレビドラマなどの作品のタイトルにもなりました。菊池章子の曲をカバーした二葉百合子の浪曲調の「岸壁の母」は今なお、息長く歌い継がれています。
 舞鶴引揚記念館のホームページには次のように紹介されています。(太字強調は筆者)
    
昭和20年(1945年) 第二次世界大戦が終結し、旧満洲(現・中国東北部)や朝鮮半島をはじめ南太平洋など多く
   の国や地域に約660万人もの日本人が残されました。これらの方々を速やかに日本へ帰国させなければならな
   くなり、“引き揚げ”が開始されました。呉をはじめ順次18港の引揚港が全国につぎつぎと設置され、舞鶴も
   その役割を担うこととなり、主に旧満洲や朝鮮半島、シベリアからの引揚者・復員兵を迎え入れる港とな
   りました。舞鶴では昭和20年(1945年)10月7日に最初の引揚船“雲仙丸”が入港してから昭和33年9月7日の最終
   引揚船“白山丸”の入港まで国内で唯一13年間にわたり約66万人もの引揚者・復員兵を迎え入れました。
    舞鶴引揚記念館は、昭和63年(1988年)4月に舞鶴市民や引き揚げて来られた方々をはじめ、全国の皆様のご
   支援・ご協力によって開館し、再び繰り返してはならない“引き揚げ”の史実を未来に伝え「平和の尊さ、平和
   への祈り
」のメッセージを発信しております。
    当館には、シベリアの地で使用したコートなどの防寒着をはじめ「引揚證明書」などの文書類など全国
   から約1万6千点の貴重な資料の寄贈を受け、常設展示にて1000点を超える展示をおこなっております。

 
 2015年10月10日、舞鶴引揚記念館が所蔵する資料570点が、「舞鶴への生還 1945〜1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録」として、ユネスコ世界記憶遺産に登録されました。文部科学省の日本ユネスコ国内委員会ではユネスコの「Memory of the World」(https://en.unesco.org/programme/mow)を「世界の記憶」と翻訳しています。
 以下は、当委員会ホームページに記載されている「世界の記憶」の内容です。
 
1.概要 世界的に重要な記録物への認識を高め、保存やアクセスを促進することを目的とし、ユネスコの事業として
  1992年に開始された。審査は2年に1回で、1か国からの申請は2件以内とされている。
  国際諮問委員会(IAC)の勧告に基づきユネスコ事務局長が決定する国際登録のほか、「世界の記憶」アジア太平
  洋地域委員会(MOWCAP)等が決定する地域登録がある。
 2.目的
 ・世界的に重要な記録遺産の保存を最も相応しい技術を用いて促進すること  
 ・重要な記録遺産になるべく多くの人がアクセスできるようにすること  
 ・加盟国における記録遺産の存在及び重要性への認識を高めること
 (以下、省略)

 なお、登録状況は次のとおりです。
  国際登録         427件(2017年10月現在)(日本関係は7件)
  地域登録(MOWCAP)   46件(2016年5月現在)

 写真2天橋立ビューランドの展望所からの風景です。
 天橋立は、京都府の北部、宮津湾にあります。安芸の「宮島」(2014年6月16日訪問)、陸奥の「松島」(2018年5月24日訪問)とともに、日本三景とされている特別名勝のひとつです。天橋立は、沿岸流によって運ばれた砂礫が湾口の一方の端から海中に細長く堆積して堤状をなす砂嘴でできた砂浜(幅:約20〜170m、全長:約3.6km)です。
 そして、約5000本の松が茂っている砂浜の形が、天に架かる橋のように見えることから「天橋立」の名が付けられました。
 

写真1.
背面
館内展示の引揚桟橋模型
前面左右
展望台から見た風景
前面中央
パンフレットとチケット
(2019年7月9日撮影)

写真2.
天橋立
左上段
正視風景
左下段
股のぞき風景

股のぞき台横の案内板
(2019年7月9日撮影)


 当事務所では人間行動に起因する事故・品質トラブルの未然防止をお手伝いします。また、ものづくりの現場の皆様の声を真摯に受け止め、ものづくりの現場における労働安全の構築と品質の作り込みをサポートします。(2019.7.9)
                                           

37)舞鶴引揚記念館/天橋立ビューランド/余部鉄橋/鳥取砂丘

 2019年7月9日、8時過ぎに自宅を出発、最初の目的地舞鶴引揚記念館には正午前に着きました。今回は舞鶴引揚記念館から天橋立を回った後、城崎温泉で宿泊し、余部鉄橋から鳥取砂丘を巡る一泊二日の旅です。

図1.
徳島
⇒神戸淡路鳴門自動車道
⇒山陽自動車道
⇒中国自動車道
⇒舞鶴若狭自動車道
⇒北陸自動車道
⇒府道・国道ほか
⇒舞鶴引揚記念館
⇒府道・国道ほか
⇒天橋立ビューランド
⇒府道・国道・県道ほか
⇒余部鉄橋
⇒県道・国道ほか
⇒鳥取砂丘
⇒鳥取自動車道ほか
⇒徳島
旅のコース
(出所:NEXCO西日本の道路地図、赤丸追記)

 当事務所では人間行動に起因する事故・品質トラブルの未然防止をお手伝いします。また、ものづくりの現場の皆様の声を真摯に受け止め、ものづくりの現場における労働安全の構築と品質の作り込みをサポートします。(2019.7.9)
                                          

バナースペース

阿部技術士・
労働安全コンサルタント事務所

〒771-1330
徳島県板野郡上板町西分字橋北
16番地2

TEL 088-694-3482
FAX 088-694-3482