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阿部技術士・労働安全コンサルタント事務所は、ものづくりの現場における労働安全の構築と品質の作り込みをサポートします。

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〒771-1330 徳島県板野郡上板町西分字橋北16番地2

よろず見聞録47Experience & knowledge

47-5)浜松城

 2023年4月1日、浜松城へは11時10頃着きました。
 現在天守台に建てられている建物は、1958年に完成した鉄筋コンクリート造の復元天守(模擬)で、丸岡城を参考にしたもので、当時の天守の約2/3の大きさと言われています。地上3階地下1階建で、1,2階は歴史資料を展示する資料館、3階は展望台として使用されています。
野面積みの石垣が残っています(写真1)。
 1570年に家康は武田信玄の侵攻に備えるため、本拠地を三河国岡崎から遠江国曳馬へ移しました。その後、曳馬という名称が敗北(馬を引く)に繋がり縁起が悪いことから、城名、地名とも「浜松」と改めたようです(写真2)。

写真1上段:天守復元(模擬)(約2/3)下段:最上階から望む櫓門(2023年4月1日撮影)


写真2.左:最上階から東方の眺望(条件が合えば富士山が見える) 右:若き日の徳川家康像
   (2023年4月1日撮影)

 当事務所では人間行動に起因する事故・品質トラブルの未然防止をお手伝いします。また、ものづくりの現場の皆様の声を真摯に受け止め、ものづくりの現場における労働安全の構築と品質の作り込みをサポートします。(2023.4.1)
                                               

47-4)舘山寺ロープウェイ

 舘山寺ロープウェイは浜名湖の湖上を渡るロープウェイとして、1960年12月に開通、浜名湖パルパルから大草山の頂上までの高低差約94m、全長723mを約4分で結んでいます(写真1)。舘山寺は大草山の西方に位置する曹洞宗の寺ですが、810年に弘法大師空海が開創した寺で、1890年に真言宗から曹洞宗に改宗しました。
 2023年4月1日、9時30分の始発で大草山頂上に向かいました。
 大草山のオルゴールミュージアム館屋上の展望台には歴史的・文学的・美術的な背景があることを基準として、
2014年に静岡県が選定・発表した浜名湖周辺にある八か所の景勝地(遠江八景)を望むことができます(写真2)。

写真1.上段:舘山寺ロープウェイ(出所:グーグルマップ、入館パンフレット)、
    下段:浜名湖&舘山寺(2023年4月1日撮影)


写真2.大草山・浜松オルゴールミュージアム展望台からの眺望(2023年4月1日撮影)

 当事務所では人間行動に起因する事故・品質トラブルの未然防止をお手伝いします。また、ものづくりの現場の皆様の声を真摯に受け止め、ものづくりの現場における労働安全の構築と品質の作り込みをサポートします。(2023.4.1)
                                           

47-3)大井川鐡道(SL&アプトライン)(浜名湖レークサイドプラザ泊)

 2023年3月31日は、大井川鐡道新金谷駅発11時52分に乗車するためホテルを9時30分に出発しました。新金谷駅では時間に余裕があったため駅舎や構内の車両、ロコミュージアムの展示を見ることができました(写真4)。写真1はロコミュージアムで入手した大井川鐡道路線図を当方で加工した関係で不鮮明ですが、詳細は大井川鐡道のホームページをご覧ください。
 大井川本線は2022年の台風15号による被害のため家山駅から千頭駅の間は列車ではなく、バスによる代行輸送をしていたので、この区間はツアーバスの利用となりました。
 大井川鐵道は大井川上流部の電源開発と森林資源の輸送を目的として1925年3月に設立され、1931年に金谷駅から千頭駅間が開通し、この地域の生活は一変したようです。その後、1959年には中部電力所有の専用軌道を移管し井川線の運行が始まり、1976年にはSLの運転を復活させました(写真2)。そして、現在、観光鉄道としての知名度向上により全国から観光客が訪れています。
 新金谷駅を11時52分に出発したSL急行かわね路1号は定刻の12時20分に家山駅に到着、待機していたツアーバスで千頭駅まで移動、13時30分発の南アルプスあぷとライン(井川線)に乗車、接岨峡温泉駅には14時40分に到着しました。途中、アプトいちしろ駅から長島ダム駅の約1.5qの間には1000分の90(90‰)の急こう配があるため、ラックレールとギアを噛み合わせた国内唯一のアプト式機関車を接続して登ります。
 アプト式鉄道の開業は1990年2月です。長島ダムの建設に伴って水没する従来の線路に代わりダムの上端までの高さを短区間で登る必要からアプト式は採用されました。そして、長島ダムのダム湖である接岨湖に奥大井湖上駅はあります(写真2)。因みに、標高は奥大井湖上駅490m、新金谷駅68.1m、接岨峡温泉駅496mです。

写真1.大井川鐡道路線図(出所:2023年3月31日入手の大井川鉄道沿線散策ガイドの一部)


写真2.大井川鐡道乗車証明書&奥大井湖上駅(出所:大井川鐡道ホームページ)
 写真3 左:長島ダム駅〜接岨峡温泉駅の位置関係(出所:グーグルマップ) 右:接阻湖(2023年3月31日撮影)

写真4.上段:ロコミュージアム展示車両 中段:左,中央:乗車したSL 右,新金谷駅駅舎
   下段:左,接岨峡温泉駅構内 右,千頭駅構内、接岨峡温泉駅まで乗車した車両(2023年3月31日撮影)
 当事務所では人間行動に起因する事故・品質トラブルの未然防止をお手伝いします。また、ものづくりの現場の皆様の声を真摯に受け止め、ものづくりの現場における労働安全の構築と品質の作り込みをサポートします。(2023.3.31)
                                           

47-2)岡崎城(三ヶ日温泉・浜名湖レークサイドプラザ泊)

 岡崎城は徳川家康が生まれた城として知られています。1531年に家康の祖父松平清康が現在の位置に移して以来、ここが岡崎城と称されるようになりました。今年のNHKの大河ドラマは「どうする家康」を放映中で、地元岡崎は大変な盛り上がりを見せています。1542年12月26日に誕生した家康は、6歳で小田信秀、8歳で今川義元の人質となり、少年期を他国で過ごしたのですが、家康が19歳の1560年、桶狭間の戦いで、今川義元が敗北したことを契機に人質から解放され、以来、岡崎城を拠点に基礎を固めていきました。
 1617年、本多康紀が城主の時には三層三階地下一階で、東に井戸櫓、南に附櫓を持つ複合天守に再建されたようです。しかし、1873年、明治政府から発せられた「全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方」(通称、廃城令)により、取り壊され、堀と石垣が昔日の面影をわずかに伝えるばかりでしたが、天守閣の再建を望む市民の思いは強く、1959年に、ほぼ元通りの外観の天守閣が復興されました。


写真1.上段:岡崎城外観(入場券写真引用)
    下段左:心礎 下段右:用材(2023年3月30日撮影)


写真2.岡崎城天守に向かう堀の桜並木(2023年3月30日撮影)

 当事務所では人間行動に起因する事故・品質トラブルの未然防止をお手伝いします。また、ものづくりの現場の皆様の声を真摯に受け止め、ものづくりの現場における労働安全の構築と品質の作り込みをサポートします。(2023.3.30)
                                           

47-1)名古屋城

 1930年に城郭建築として初めて国宝に指定された名古屋城(写真1)ですが、1945年の空襲で本丸の殆どが焼失しました。現在の天守閣で1959年に再建(写真2)されたもので、外観は昭和実測図に基いた鉄骨鉄筋コンクリート造で、内部は焼失を免れた本丸御殿障壁画(重文)や武具などを展示しています。天守閣は再建から半世紀が過ぎ、耐震性が低いことに対応するため閉館中でした。
 入館パンフレットには次のように紹介されています。
 
関ケ原の戦いに勝利した徳川家康は、1609年、豊臣方への備えとして名古屋城の築城と、清州から新城下への街丸ごとの引っ越しを決定。この新たな碁盤割の町が現在の名古屋の原型となり、町や橋の名前も受け継がれています(中略)。1615年にほぼ完成しました。尾張初代藩主として家康の九男の義直が入り、以降名古屋城は御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。
 訪れた3月30日は快晴で、平日にも拘らず満開の桜見物で賑わっていました。上述のとおり、1945年の空襲により、名古屋城は本丸御殿をはじめとする多くの貴重な建物を失いましたが、先人たちが記録してきた第一級の史料が残されていたため、忠実に復元できたようです。
 名古屋城ホームページには、戦時中に取り外され、大切に保管されてきた襖絵・天井板絵など1049面の障壁画(内、1047面が重要文化財に指定)や昭和初期の調査・計測によって残された309枚の実測図、戦前に撮影された約700枚の写真、約2000個の礎石などの多くの史料を基に各分野の専門家の協力を得て、他では類を見ない正確さで忠実に復元が進められ、2018年には、江戸幕府将軍家光の宿泊のために建造された最も格式が高い「上洛殿」や「湯殿書院」が完成し、その優美な姿を公開していると紹介されています。


写真1.焼失前の名古屋城本丸御殿と天守閣
(2023年3月30日撮影)



写真2.名古屋城天守閣(2023年3月30日撮影)


写真3.名古屋城天守閣&石垣(2023年3月30日撮影)

 当事務所では人間行動に起因する事故・品質トラブルの未然防止をお手伝いします。また、ものづくりの現場の皆様の声を真摯に受け止め、ものづくりの現場における労働安全の構築と品質の作り込みをサポートします。(2023.3.30)
                                           

47)名古屋城・岡崎城・大井川鐡道・舘山寺ロープウェイ・浜松城(下図のルート)

 2023年3月30日〜4月1日、名古屋城、岡崎城、大井川鐡道、舘山寺ロープウェイ、浜松城を巡るツアーに参加しました。昨年、函館と長崎にはフライトとホテルが選べるフリープランを利用したのですが、今回は適当なフリープランが無かったため団体ツアーに参加しました。
 バスも新幹線も旅行社の指定する便に乗れば間違いなく快適な旅になるはずでしたが、今回は大きな間違いでした。出端をくじかれてしまったのです。新神戸駅に9時58分に到着予定の松茂8時18分発のJRバスが自然渋滞で25分の延着になったのです。バスの運転手の車内アナウンスはバスが停止する前で、トランクから荷物を取り出した時点では新幹線の発時間10時30分の5分前でした。1Fの降車場から階段を上がり、2Fの改札(間が悪いことに数人の外国人が駅員とやり取り中、ここでも渋滞、自動改札不可のチケットだったがやむを得ず横をすり抜け)を通り、エスカレータで3Fの新幹線ホームまで全力疾走を余儀なくされたのです。松茂からの参加は3組6名でしたが、何とか全員間に合いました。
 長崎旅行の時は三宮で乗り換えて大阪空港に向かいましたが、この時はフリープランだったので大阪空港発9時40分発の長崎空港行に乗るため松茂発5時50分の徳島バスに乗車、三宮経由、大阪空港には8時50分頃到着しました。この時も自然渋滞で、初めに計画していた三宮発大阪空港行のバスには間に合わず、次便になりましたが、想定内でした。
 しかし、今回は、旅行社が作成した旅程における出来事だったのです。事故も工事もない自然渋滞でバスが25分遅れて、全力疾走しなければ間に合わない乗り換え時間5分(帰路確認したところ普通の徒歩で改札を通ると約9分)のスケジュール設定は単なるハプニングでは片づけられません。
 もし、今回3組の内、1組でも乗り遅れていたらどうなっていたのでしょうか。他の2組が乗車できたのだから・・・遅れたのは参加者の努力不足で片づけられるのでしょうか。年齢的に走るのが無理な方もいます。杖を常用している方の参加に「走れ」は無茶です。当方にしても乗り換えで全力疾走が必要と記載されていれば参加しません。特記が無ければ乗り換えは普通の歩く速度でできるものと考えます。
 品質管理や安全コンサルタントの視点で考えると、キャリーバッグを引き、走ることは推奨できません。自分が転倒して、怪我をしたり、他人とぶつかって負傷させる可能性があります。その場合、旅行社は何ら責任を負わないのが通常です。しかし、走るのを諦めて次便に振り替えた場合は自己都合による離団、変更になり、追加の費用は自己負担となるでしょう。今回のように自然渋滞によるバスの延着25分により、実質乗り換え時間が5分になってしまった場合、利用者はどのように行動すべきか、本事例は安全管理や危機管理のケーススタディに使えそうです。
 今回の旅のルートは以下のとおりです。
・自宅⇒松茂⇒バス神戸三宮⇒JR新神戸駅⇒JR名古屋駅⇒名古屋城
・名古屋都心環状線⇒東名高速⇒岡崎城⇒東名高速⇒三ヶ日温泉・浜名湖レークサイドプラザ泊
・東名高速⇒新東名高速⇒大井川鐡道・SL列車・新金谷駅⇒家山駅⇒バス⇒
・大井川鐡道井川線・南アプトライン・千頭駅⇒奥大井湖上駅⇒接岨峡温泉駅⇒バス⇒
・KADODEOOIGAWA⇒三ヶ日温泉・浜名湖レークサイドプラザ泊
・舘山寺ロープウェイ⇒バス⇒浜松城⇒昼食(松葉)⇒東名高速⇒JR名古屋駅⇒JR新神戸駅⇒バス⇒松茂⇒自宅
図1.愛知〜静岡(三名城&大井川鐡道)(出典:旅に出たくなる地図、朱は筆者追記)
 当事務所では人間行動に起因する事故・品質トラブルの未然防止をお手伝いします。また、ものづくりの現場の皆様の声を真摯に受け止め、ものづくりの現場における労働安全の構築と品質の作り込みをサポートします。(2023.3.30)
                                           

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