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阿部技術士・労働安全コンサルタント事務所は、ものづくりの現場における労働安全の構築と品質の作り込みをサポートします。

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〒771-1330 徳島県板野郡上板町西分字橋北16番地2

よろず見聞録51Experience & knowledge

51-4)靖国神社・遊就館・築地本願寺・歌舞伎座

 靖国神社は、千代田区九段北にあり、敷地面積は99,000uで東京ドームの約2倍あります。明治維新以後、国家のために殉難した人の霊246万6千余柱が祀られています。明治天皇の勅命で建てられた招魂社が始まりで、1879年6月4日に社号が靖国神社と改められています(写真1)。
 靖国神社の境内にはソメイヨシノや山桜など約500本の桜があり、毎年、東京管区気象台が靖国神社にある標本木(ソメイヨシノ)を調べて開花を発表しています。また、2019年の創立150年の記念事業の一つとして整備された「慰霊の庭
」には、各都道府県の著名な陶工たちにより制作、奉納された「さくら陶板」が設置されています。
 遊就館には、靖国神社に鎮まる英霊の遺書や遺品をはじめ英霊のまごころやその事蹟を今に伝える貴重な史・資料が展示されています(写真2)。開館は1882年で、館名の「遊就」は荀子の勧学篇「故君子居必擇ク、遊必就士、所以防邪僻而近中正也」から遊と就を撰んだとありました。
 書き下し文は次のとおりで、高潔な人物に交わり学ぶという意味が籠められています。
 「君子は居るに必ず郷を択び、遊ぶに必ず士に就くは、邪僻を防ぎ中正に近づく所以なり。」(Web漢文大系)
 なお、荀子は中国の戦国時代の思想家の荀況の思想を漢の劉向(前77〜前6)によってまとめられたもので、20巻32篇からなります。
 築地本願寺は浄土真宗本願寺派のお寺で京都の西本願寺が本山です。1617年に浅草近くに創建されました。しかし、1657年の明暦の大火で焼失しました。その後、海を埋め立て、本堂を建立しました。このことが、築地の由来となっています。また、1923年には関東大震災に伴う火災により再度本堂を焼失しました。現在の本堂は、1934年に再建されたものです。2014年には本堂及び大谷石の石塀と山門門柱が国の重要文化財に指定されました(写真3)。
 歌舞伎座は東銀座にある歌舞伎専用の劇場で、1889年に開場しました。現在の建物は2013年2月竣工、4月に開場したものです。築地本願寺から徒歩で移動できる距離にありましたが、あいにく、29日は休場日でした(写真4)。

写真1. 境内配置、拝殿、さくら陶板(入館時資料及び2024年5月29日撮影の合成)

写真2.遊就館エントランスホール展示のゼロ式戦闘機
(2024年5月29日撮影)


写真3.築地本願寺外観(2024年5月29日撮影)

写真4.歌舞伎座(2024年5月29日撮影)

当事務所では人間行動に起因する事故・品質トラブルの未然防止をお手伝いします。また、ものづくりの現場の皆様の声を真摯に受け止め、ものづくりの現場における労働安全の構築と品質の作り込みをサポートします。(2024.5.29)
                                           

51-3)東京国立博物館・上野公園・西郷隆盛像(同ホテル泊)

 2024年5月28日、東京国立博物館を訪れました。東京国立博物館の歴史は、1872年3月10日、文部省博物局が湯島聖堂大成殿において最初の博覧会を開催したときから始まります。当館のホームページには次のように記載されています。
東京国立博物館は開館後間もなく内山下町に移転、次いで明治15年に上野公園に移り、現在にいたっています。150年にわたり受け継いできた収蔵品は現在約12万件。このうち国宝89件、重要文化財650件(2024年4月現在)と質・量ともに日本を代表するコレクションです。 おもにこれら収蔵品や寄託品で構成される「総合文化展」では、常時3,000件を展示しています。
 写真1は東京国立博物館の配置と外観です。コンクリート建築に瓦屋根をのせた帝冠様式で、2001年、重要文化財に指定されました。今回は本館のみの観賞です。本館2Fは日本美術の流れを辿る時代別展示で、1Fはジャンル別展示で構成されていました。写真2は体験型展示とエントランスの大階段です。
 1873年に発出された太政官布達16号は公園開設に関するもので、これが我が国における公園制度の始まりとされています。公園という制度を発足させるので、ふさわしい土地を選定して伺い出るようにと通達したものです。これを受けて、東京では、上野、芝、飛鳥山、浅草、深川が指定を受けています
 上野公園は台東区にあり、上野駅西口に位置しています。開園は1873年10月19日、面積は約53ha、公園内には博物館。動物園など多くの文化施設が存在しています。上野公園は三度目の訪問ですが、今回初めて高村光雲作の西郷隆盛像を写真に収めることができました(写真3)。

写真1.東京国立博物館外観&建屋配置図(入館時パンフレット及び2024年5月28日撮影)

写真2.東京国立博物館体験型展示&エントランス大階段(2024年5月28日撮影)

写真3. 高村光雲作、西郷隆盛像(2024年5月28日撮影)

 当事務所では人間行動に起因する事故・品質トラブルの未然防止をお手伝いします。また、ものづくりの現場の皆様の声を真摯に受け止め、ものづくりの現場における労働安全の構築と品質の作り込みをサポートします。(2024.5.28)
                                           

51-2)横浜エアキャビン・赤レンガ倉庫・ハンマーヘッド・大さん橋・横浜マリンタワー(同ホテル泊)

みなとみらい」は、横浜市西区の沿岸部にあり、現行の行政地名はみなとみらい1丁目から6丁目を指しています。みなとみらい線みなとみらい駅や各線の桜木町駅を拠点にして徒歩で巡れる距離に人気の観光スポットが集まっています(図1)。
 横浜エアキャビンは2021年4月22日に運行開始した日本初の都市型循環式ロープウェイで、JR桜木町駅前と新港地区の運河パークとを結んでいます。片道約630m、地上からの高さは最大約40m、36台の8人乗りキャビンが循環しています。キャビンはグループ単位で相乗りはなく、一人でもキャビン1台を利用できます(写真1)。
 赤レンガ倉庫は明治末期から大正初期に国の模範倉庫として建設されました。そして、2002年に当時の面影を残したまま文化・商業施設として生まれ変わりました。
 横浜ハンマーヘッドは客船ターミナル施設と「食」をテーマとし商業施設、ラグジュアリーホテルからなる複合施設です。ハンマーヘッドは船舶への積み下ろしに使用するクレーンの形が金づち(ハンマーヘッド)に似ていることからこのように呼ばれています。現在は使用されてませんが、横浜を象徴する施設名とし残しているようです(写真2)。
 大さん橋は「横浜港大さん橋国際客船ターミナルの通称です。側面からみると水面に浮かぶクジラの背中のように見えます。2009年の「東南アジア青年の船」に参加した三女の見送り以来15年振りでした(写真2)。
 横浜マリンタワーは中区山下町にあります。横浜開港100周年記念事業として1961年1月15日に開業、その後、二度のリニューアルを経て、今も横浜のシンボルの一つです(写真3)。


図1. 横浜ベイシティ交通マップ(出所:横濱まちづくり倶楽部)



写真1.横浜エアキャビン(2024年5月27日撮影)



写真2.上段:横浜ハンマーヘッド、下段:大さん橋(2024年5月27日撮影)


写真3. 横浜マリンタワー(
2024年5月27日撮影)
 当事務所では人間行動に起因する事故・品質トラブルの未然防止をお手伝いします。また、ものづくりの現場の皆様の声を真摯に受け止め、ものづくりの現場における労働安全の構築と品質の作り込みをサポートします。(2024.5.27)
                                           

51-1)明治神宮・浅草寺・スカイツリー・柴又帝釈天・都庁(ホテルリステル新宿泊)

 2024年5月26日明治神宮を参拝しました(写真1)。明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后を御祭神とし1920年11月1日に創建されました。明治神宮のホームページには「永遠の杜」と題し、詳述されています。
 以下にその一部を要約(引用含む)します。
 明治神宮が出来る前はこの辺り一帯は南豊島御料地(皇室の所有地)といって、現在の御苑一帯を除いては畑がほとんどで、荒れ地のような景観が続いていたようです。そこで、第一線の学者たちにより、人々が静かに祈りを捧げる「永遠の杜」が計画され、全国から約10万本の樹木が奉献、造営工事にはのべ11万人の勤労奉仕があったようです。林学の専門家たちは、100年先を見越して明治神宮には照葉樹でなければ育たないと結論づけ、椎・樫・楠などの照葉樹を主な構成木することを決定しました。
 
1945年4月の空襲により明治神宮の社殿の多くが焼失しましたが、杜は人々の避難の場となり、大きな被害はでなかったようです。燃えやすい針葉樹でなかったのが奏功したのかもしれません。
 明治神宮では鎮座五十年記念事業として、毎木調査を中心とした境内総合調査(昭和55年に報告書刊行)を、動物も含めた生物相を調査した鎮座百年記念第二次明治神宮境内総合調査(平成25年に報告書刊行)を実施し、この杜がどのように成長しているかを学術的に調査しています。造営当初、在来木等を含め365種約12万本だった内苑の樹木は、第二次境内総合調査によると、234種約3万6千本となりました。自然淘汰され、木々は大きく成長したのです。 また、新種や絶滅危惧種、都内では珍しい動植物を含む約3千種の生物が報告され、話題を呼びました。

 明治神宮参拝の後、浅草寺に向かいました。明治神宮も浅草寺も初めてではなかったのですが、外国人観光客の数はコロナ以前と変わらない印象を受けました。
 浅草寺参拝の後、東京スカイツリーに向かいました。スカイツリーは、東京都墨田区押上1-1-2にある電波塔(高さ634u)であり、東京のランドマークの一つです。東武鉄道と東部タワースカイツリーが事業主体となり、設計・監理者(日建設計)施工者(大林組)により2008年7月14日に着工し、2012年2月29日に竣工、同年5月22日に開業しました。電波塔や観光・商業施設としてだけではなく観測施設としての役割も担っています。スカイツリーについては2022年6月10日のよろず見聞録(東京スカイツリー)で紹介しています。前回は気がつかなったのですが、1階のスカイツリーギャラリーにスカイツリー最上部にある避雷針が実物大で展示されていたので撮影してきました(写真2)。
 東京スカイツリーの後、柴又へ向かい、柴又帝釈天を参拝しました。柴又帝釈天は経栄山題経寺と号する日蓮宗の寺院です。参拝の後、京成電鉄柴又駅まで散策、夕食は250年続く老舗でうな重でした。柴又は江戸川沿いにあり、フーテンの寅さんや矢切の渡しでも有名です(図1)。帝釈天を参拝した後、柴又駅前にある寅さんとさくらの像を撮影してきました(写真3)。
 ホテルのチェックインを済ませた後、東京都庁まで足を延ばし、プロジェクションマッピングと45階展望室からの夜景を見てきました(写真4)。

写真1. 明治神宮(2024年5月26日撮影)



写真2. スカイツリー先端に位置する避雷針(2024年5月26日撮影)


図1. 柴又帝釈天周辺(2024年5月26日撮影)



写真3. 上段:帝釈天山門、下段:寅さん&さくら像(2024年5月26日撮影)



写真4.上段:東京都庁プロジェクションマッピング、下段:南45階展望室(202m)からの夜景(2024年5月26日撮影)

 当事務所では人間行動に起因する事故・品質トラブルの未然防止をお手伝いします。また、ものづくりの現場の皆様の声を真摯に受け止め、ものづくりの現場における労働安全の構築と品質の作り込みをサポートします。(2024.5.26)
                                           

51)明治神宮・柴又・みなとみらい・国立博物館・靖国神社ほか東京/横浜

 2024年5月26〜29日、東京/横浜を訪れました。今回は、フライトとホテルは指定、26日のみ添乗員ありのバス移動で、後は自由行動のフリープランに近いツアーを利用しました。
・自宅(05:35)⇒松茂⇒徳島空港(07:10)⇒羽田空港(08:20)⇒他空港からの集合時間(09:30)
・明治神宮⇒浅草寺・仲見世通り⇒自由昼食⇒東京スカイツリー・ソラマチ⇒柴又(帝釈天など)・夕食(川千家)⇒
ホテルリステル新宿⇒東京都庁展望室(45階地上202m)
・みなとみらい/YOKOHAMA AIR CABIN⇒横浜ハンマーヘッド⇒赤レンガ倉庫⇒昼食(崎陽軒)⇒大桟橋ふ頭⇒山下公園⇒横浜マリンタワー⇒次女宅訪問・夕食⇒ホテルリステル新宿泊
・東京国立博物館⇒上野公園⇒西郷隆盛像⇒不忍池⇒昼食⇒長女宅訪問・夕食
・靖国神社⇒遊就館⇒昼食⇒築地本願寺⇒歌舞伎座⇒羽田空港・夕食・集合時間(18:45)⇒羽田空港(19:45)⇒徳島空港(21:00)⇒自宅(22:10)
図1.東京・横浜今回のルート(出典:旅に出たくなる地図日本 帝国書院)
 当事務所では人間行動に起因する事故・品質トラブルの未然防止をお手伝いします。また、ものづくりの現場の皆様の声を真摯に受け止め、ものづくりの現場における労働安全の構築と品質の作り込みをサポートします。(2024.5.26)
                                           

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